アイムアルーザー

2006-11-14

ジャムセッション 18:43

働くのが嫌だ、働く意味がわからないとずっと考えてきたが、ひょっとして働くとは他人と関わることなのだろうか。

だとしたら社会において働くとは、ジャムセッションの中にいるときに「音を出す」というようなものなんだろうか。だとしたら、そりゃあ音を出したほうが楽しいだろう。一人でイヤホンを耳に突っ込んでいるよりは音を出したほうがいいに決まってる。それなら「仕事がないとつまらない」と言っている人の気持ちが少しわかる。

どうも俺が働く意味がわからないのは社会性がないせいだろうと思う。そして、社会性とは他者というものをちゃんと認識できるということなのかと最近考えている。他者という、自分とは違う存在が、自分と同じ比重を持って、世界存在しているということ。これが俺はまだよくわかっていない。他者というものが存在するのは恐ろしいことだ。

昔はもっとその偏りがひどかった。

小さい頃によくした妄想は、この世界存在しているのは自分だけではないかという妄想だ。家族も近所の人も全部、俺の前では普通に生きているように振舞っているけれど、それは全部演技で、世界がきちんと存在しているかのように俺を騙すためのものである。俺の視界を外れた瞬間に、俺がきちんと騙されていることを確認しあうような、楽屋裏トークを始めるのだ。

自分の思考が全部外に漏れていて他の人に筒抜けなのではないかという妄想もよくした。それは、自分の思考は自分だけのもので、自分だけしか認識できないものであり、他者はそれぞれまた別に存在し、それぞれまた別の思考を持っている、ということがよくわかっていないということだろう。

これは逆に、思考漏れていないということのほうが恐ろしかったのかもしれない。思考漏れていないということは、例えば、俺がある物事をとても素晴らしいと思っていても、そのことが誰にも伝わっていないということだ。言わないと誰もわからない。しかも言っても思っている通りに正確には伝わらない。おかしいよね、世界は俺中心に回っているはずなのに。

小学校中学校のときなど、自分が素敵だと思う女の子を、みんなが好きにならないのが不思議で納得いかなかった。あの女の子はあんなに可愛くて素敵で、他の女の子は全くそれに及ばないのに、なぜみんなあの子を好きなわけじゃないんだろう、と思っていた。好みが分かれていたほうが奪い合いにならなくていい、とか理屈では分かっていたけど、本当になぜそうなのかはどうしても納得できなかった(まあどっちにしろ暗い子供だったので女の子に対して何かアクションを起こすでもなく見てるだけだったけど)。

自分とは違う存在で、違うに物事を感じて違うに考える、自分とは独立した個人が何千万人も存在するのは恐ろしいことだ。

昔から何かを説明するのが下手だ。それも、他人は自分と違う存在だということがよくわかっていないからだ。

相手が何をわかっていて何をわかっていないかを知らないと、説明というものはうまくできない。俺には、自分が当たり前に分かっていることを、他人が当たり前に分かっているわけではないということが、よくわからない。自分が知っていることは、全員が当然知っているような気がしてしまう。

自分を基準にしてしか物事を考えられず、他人は自分と違うということがわからないので、自分の知っていることを知らない人は、みんな度しがたい馬鹿に見えてしまう。逆に、自分の知らないことを知っている人や、自分のできないことができる人は、みんな恐るべき天才に思えてしまう。

そんな世界観で生きていると、疲れるよな。

この世界に住んでいる他人というものは、結構俺にやさしくしてくれるのだけど、それも意味がわからない。俺は全然他人にやさしくないからだ。他人にやさしくするということがありうることがわからない。だから、やさしい他人はみんな人間離れした菩薩のように思えてしまう。やさしくされると物凄く恐縮してしまう。怖い。

社会性を身につければ、つまり他人が存在することをちゃんと肌で理解できれば、仕事をしなければいけないことが納得でき、仕事に対するモチベーションもわき、他人に対して無闇にびくびくすることもなく、親切にされてやたらと恐縮がることもなく、友達を作るのも上手になり、自分の思い通りに世界が動かないからと苛々するのも少なくなり、何かを説明するのも上手になって、誰かに向けてきちんとした文章を書けるようになったりするだろうか。

きちんと他者を認識できれば、仕事というのは楽しいものであるような気がする。

しかし難しい。社会性なしで28まで来てしまった。幼い頃に形成されたシナプスの回路の傾向は強靭だ。難しい。